生きる事と幸せの定義
生きるって何ですか?幸せって何ですか?
と言う問いに答えたある人の言葉がずっと耳に残っている。
『生きる事は、一つ一つ手放していく事。
そして最後の一つを手放す時、隣で泣いてくれる人がいたら、それが幸せなんじゃないかなぁ。』
今日はこれを噛み砕いて解釈してみた。
"生きる事は一つ一つ手放していく事"
人は、生きるほどに経験を積み、モノや知識など多くの物事を自分の人生に蓄積していきます。
その代わりに無意識に失っている(薄れてゆく)ものもあって、例えば"感動"や"ワクワク"もその中の1つです。
子供の頃、雪が積もると嬉しくなって外に出て雪だるまを作ったし、たまに降る土砂降りの雨の中で喜んで鬼ごっこをした記憶があります。
でも今は、雪の日なんて寒いだけだなんて感じるようになったり、土砂降りの雨の中びしょびしょになって遊ぶ事もまあ無くなりました。
経験の数が増えると感動の数が減るように、
手に入れたものの数 ≒ 失ったものの数
この方程式は誰の人生にも常に成り立っていて、
万物は表裏一体、
得る事は失う事と同意である
と言うことをまずはここではっきりさせておきます。
次に、無意識に失うのとは別に"自分から手放す"という事に焦点を当てます。
"自分から手放す"と言う行為は断捨離と同じで、すでに持っている何かを手放す事で新しい何かを得ることが出来ます。
何かを得たから何かを失うのか、
何かを手放したから何かを得るのか。
この2つには、得る失うの順番が逆なだけではなく決定的な違いが一つだけあります。
それは無意識か意識的か、と言う点です。
前者は無意識的にどんな人間にも起こります。
日々の経験と共に、気付かぬうちに何かを得て何かを失くしていきます。
それがあなたにとって必要か不必要かは関係なく。
しかし後者は、自分の意思で自分にとって不要なものを意識的に手放す事で必要なものが入ってきます。
更に不要なものだけを手放すので必要なものは残ります。
この2つは一見同じですが、"個"を確立するには後者の"手放し"が必要になります。
1つ私の過去を例にあげると、
私はお酒が大好きだったので、お酒をやめて飲んだくれの生産性がない人間関係を絶った事で、新しいコミュニティが形成され仕事が上手くいくようになりました。
不規則な生活習慣を絶った事で健康的な心と体が手に入り、痩せてお洒落をする楽しさや運動する楽しさを得ました。
これは私が自分の意思で選択して自分の意思で手放し、意識的かつ積極的に自分にとって必要なものに向き合い続けた結果です。
断捨離の面白いところは、手放せば手放すほど思考がシンプル化され、自分が本当に求めているものは何なのかが鮮明になります。
本題に戻すとつまり、
生きる事とは、自分にとって不要な物を手放し、本当に必要な物を手に入れるための作業を繰り返す事。
と、なります。
そして次に来る言葉、
"最後の一つを手放す時、隣で泣いてくれる人がいたら、それが幸せなんじゃないかなぁ。"
について。
読み進める前に、あなたにとっての『最後の一つ』をまずは考えてみて欲しいのです。自分で考えて向き合う事に意味があるからです。
私にとっての最後の一つは確定しています。
不要なものを手放し、自分に向き合い続けるといろんな事が分かってきます。
世界は全て自分の鏡であること。
人はみな、孤独であること。
自分の人生は、自分が作っていること。
例えば今、こんなブラック企業で低賃金で働いてる自分は不幸で可哀想だ!という状況にあるとします。
確かにブラック企業は最低だけど、そこを選んで働いてるのも自分。
嫌なら辞めればいい。し、辞めさせてあげられるのも、その会社から自分を守ってあげられるのもあなた自身しかいない。
そうやって自分で自分の身を守り、不幸だと感じる状況から何とか抜け出そうとする事で、"無意識の自分"が喜びはじめます。自分に感謝し始めるんです。
こちらの記事に書いた通り、
私たちは、親友であっても家族であっても最悪の場合はその関係や物理的距離を引き離すことが可能ですが、自分の体だけはどう頑張っても死ぬまで付き合っていかなければいけません。
自分と向き合い、自分を守ることができるのは、自分しかいないのです。
それは自分を愛することと同意です。
自己愛が形成されると、他人への愛も生まれ始めます。
"人から愛されたいならまずは自分が人を愛しなさい"と言いますが、もっと掘り下げると、まずは自分自身を愛しなさい。が正解です。
それができるようになると、自己と他の境界線がハッキリクッキリしてきます。相手が家族であっても恋人であっても親友であっても、です。
これが"自立"です。
特に現代はSNSなどで他人のプライベートが強制的に自分の脳にインプットされてしまうので、自己と他の境界を多くの人が見失ってしまっています。
"他人の雑音"に自ら耳を傾け、他人や世界がまるで自分の人生と運命共同体かのように依存してしまうのです。まるでそれらが自分の人生を作っていると錯覚するのです。
自立とは程遠い世界を生き、自分を見失い、他人や外的影響に振り回されてしまいます。
話を整理すると、
手放し(生きる事)の最大の産物は"自立"です。
色んなものを手放す事で最終的に得られるものは、しっかりと地に足をつけて立っている"自分自身"なのです。
つまり、最後の一つを手放す時に隣で泣いてくれる人がいたら幸せ。
と言うのは、
最後に自分が死ぬ時に(自分自身を手放す時に)隣で泣いてくれる人がいたら、それが幸せなんじゃないか。
という解釈になります。
手放し、自分と向き合う事は簡単ではないし結構つらいです。
モノや環境と同じく多くの人間関係も手放すことが必要で、自分で自分を支えて強く孤独に耐えながら生きた人にしか、死ぬ時に本当の幸せのありがたみを噛み締める事はできないのかもしれません。
それでは今日はこの辺で。
このブログが幸せな人生の糧になることを願っています。
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